勝手なOT論

いろんな学問に興味はあるが知識はまだまだな作業療法士です。日常で湧き出た思考を書き留めておくブログです。強い根拠もない思いつきのようなものですが、皆様からのご意見も頂戴したいです。

ターミナルにおけるOT

ターミナルへの心構え

 

私の勤務地では、

よく"お看取り"の方針になっている方がいる。

 

本人が決めたのか、家族が決めたのか、

そこを終の住処として来るのである。

 

ターミナルケアや緩和ケアという言葉が、

世に浸透して久しい。

 

終末期には4つの痛み(身体的、心理的、社会的、スピリチュアル)があるとし、

対象者を全人的に捉えてケアしていくという視点は素晴らしいと思う。

 

しかし、

普段高齢者を相手にしている身からすると、

あえてこのような用語を使っていくこと自体に違和感がある。

 

エリクソンのライフサイクルによると、

老年期は統合vs絶望の段階である。

 

簡単に言えば、

「いい人生だった」と死を受容できなければ絶望してしまう状態だということか。

 

とすると、

老年期(エリクソン的には65歳からのようだが、個人差はあるだろう)に入った時には、

すでにターミナルを見据えたケアが必要だと思われる。

 

もっと言えば、ターミナルケアの対象ではなくて、若い方だとしても、いつ亡くなるかはわからない。

自分だっていつ死ぬかはわからない。

「明日亡くなるかも」という気持ちですべての対象者を支えられたらと思う。

 

ターミナルの目標設定

 

リハビリテーションのページで述べたように、

リハビリテーションは"自分らしく生きる"状態だとして、

 

ターミナルに当てはめると、

"余命を自分らしく生きる"状態を目指すべきなのだろうか。

 

人によっては、

あまりいないが、「最期まで活動的に過ごしてやる」っていう方もいれば、

「早く楽に死にたい」と静かに過ごそうとする方もいる。

 

ここからはHOPEと全身状態を照らし合わせ、

医療職としてどう目標設定するのか考える。

 

 

どのような目標を見据えるにしても、

医療者側は良い意味で力を抜くことが必要だと思う。

 

そっと傍に寄り添う程度の存在であり、

対象者が頑張りたい時はさっと支える。

 

選択する力関係としては、

shared dicisionより、

informed dicisionに近寄るであろう。

 

もちろん開始時に、

作業療法についての情報提供が必須である。

 

お互いに頑張る必要はない

 

ターミナルに向かうにつれ、

痛みが強まったり、動けなくなったりしてネガティブな発言が増えることもある。

 

「早く楽になりたい」

「もう生きてたってしょうがない」

 

と。

 

こんな時は医療職としてはつい力んでしまい、

「いや、そんなことないですよ」

と言ってしまいたくなる。

 

しかし、

そこは一旦こちらも力を抜いて、

「そうですか」

「お辛いですね」

と受け止め、

具体的にエピソードや想いを掘り下げていくほうがいいと個人的には思う。

 

 

悲観的な発言が多い方も、

ご家族の前では明るく振る舞っていることもある。

 

ご家族の前ではしっかりしなくちゃとか、

弱気なところは見せたくないという意地のようなものが感じられる。

 

残されるご家族に対しては、

外面だけでも最期まで頑張ってます、

という様子を見せたほうがいいと思うが、

(もちろん本人の希望次第だが)

 

第3者である医療職に対しては、

弱気なところを見せていただけたほうが、

ある意味ストレスのはけ口となり、

そばにいるだけの存在だとしても、

役に立てているのではないかと思う。