勝手なOT論

いろんな学問に興味はあるが知識はまだまだな作業療法士です。日常で湧き出た思考を書き留めておくブログです。強い根拠もない思いつきのようなものですが、皆様からのご意見も頂戴したいです。

PTとOTの違い、再考。

最近ICFでPTとOTの違いを説明するとわかりやすいかなと思い、メモ的に残しておきます。

 

まず、心身機能を身体機能(A)と心理精神機能(B)に、

活動を活動遂行能力(C)に、

参加を作業(D)にします。

 

病気にかかるなど健康状態が低下すると、

身体機能が低下し、活動遂行能力が低下し、結果作業機能障害を起こします。

つまり、A→C→Dの負の流れができます。

 

身体機能を向上させ、結果作業遂行を支援するというA→C→Dへと歯車を回していく視点がPTとします。

 

また、

健康状態の低下は、直接作業機能障害を引き起こすことも考えられます。

そうすると活動遂行能力が低下し、

身体機能と心理精神機能が低下します。

つまり、D→C→A Bの負の流れです。

 

作業機能障害を改善し、結果身体・心理精神機能を向上させるというD→C→A Bへと歯車を回していく視点がOTとしたら、自分の中ではわかりやすいです。

 

個人の中で、

病気、障害を抱えることは、

A( B)→C→DとD→C→A Bという二つの負の流れがあり、

悪循環を引き起こしていると考えられますが、

後者の考えはあまり世間的には認知されづらいところがあり、

それがOTの説明を難しくしているのではないでしょうか。

 

あくまで個人の見解ですが。

社会的な意味と作業

突然ですが、

永久に幸福な状態を感じさせてくれる装置に身をあずけている人を見て、

幸福そうだなと思うでしょうか。

自分も装置を使いたいなと思うでしょうか。

 

人間は、

主観的な満足だけでなく、客観的にも幸福でありたいと思う存在だとのことです。

 

前回書いたセリグマンの3つの幸福のタイプの3番目、

「意味のある人生」でもそうですが、

社会的な意味を感じられることが幸福のキーワードなのかもしれません。

 

そうすると、

作業の意味を考える際、

個人的な価値も大事ですが、

社会的な価値も有するものが、

いわゆる「意味のある作業」なのかなと思います。

 

自己満足で生きるより、社会的にも意味のある生き方をしたほうが長期的な、最終的な幸福感が高そうですよね。

 

↓参考にしました。

功利主義入門―はじめての倫理学 (ちくま新書)

功利主義入門―はじめての倫理学 (ちくま新書)

 

 

 

幸福の3タイプ

セリグマンによれば、

幸福には3つのタイプがあるそうです。

 

①快楽の人生

 (多くの快楽やポジティブ感情を味わう)

②夢中を追求する人生

③意味のある人生

 

①は自分の好きな作業を通して得られるものだし、

②は言い換えればフローを起こしている状態であると言えるのでしょうか。これも作業と関わりがありますね。

③は作業を通して自己同一性を獲得し、社会的に認められる体験がもたらすものだと思います。

 

作業と幸福の関係は切っても切れないですね。

 

 

また、基本的には①②③のすべてが実現されたときが最大の満足を得られるそうですが、

3つのなかでは③が一番満足度が高いとのことです。

 

しかし、

認知症高次脳機能障害の方などは、

①②には作業の選択次第で取り組めるけど、

判断力の不十分さや表出の拙劣さで③へとたどり着くのはなかなか難しい印象です。

 

されど、

①②の状態が定着すれば、周囲を巻き込んで③へと到達できるのではないかと最近考えています。

 

取り組める作業を、

所属集団の中での役割にしてしまうとか、

一緒に楽しめる家族や友人を作るとか。

 

今までの生活歴などから意味を見出すような文脈がない場合でも、

新しく意味を作って作業にしていく可能性もあるといいですね。

教育の視点に立って

心理学においては、

褒める時は存在に着目し、

叱る時は行動環境に着目すると良いらしいです。

 

パワハラの中にも人格否定するなっていう文言がありますが、

やはり相手に指摘する際は、

その人の内面はひとまず置いといて、

行動を変えるか、

環境を調整してあげるほうが効果的そうですね。

 

患者さんにおいて、

不適応行動が見られるなら、

より良い行動をとれるようABAやCBTなどを活用し、良い結果を生み出せることを学習してもらう。

 

また、

より良い行動を導くアフォーダンスを意識した環境調整をしていくことがOTの腕の見せどころですかね。

 

この考えは、

インシデント・アクシデント対応や

学生・新人への教育にも応用できますね。

 

より良い行動を取れた際には、

「さすが○○さん」と褒めてあげたいですね。

 

 

図解 モチベーション大百科

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方法で職業を説明したくない

「OTは手とか腕を良くします」

 

学生時代に実習先で聞いた患者さんへの作業療法の説明です。

 

つい最近もPTさんがこのような発言をしているのを聞きました。

 

「PTは足、OTは手」

ICFの考え方はどこにいったんだと気にしなければ、たしかにこの説明はわかりやすいです。

 

やることが明確だし、患者さんにも伝えやすい。

 

 

ただ、方法でPT・OTを区別するのはデメリットもあると思います

 

OTは手に問題のある方にしか関われないのでしょうか。

 

「〜をする仕事です」という言い方は、

裏を返せば「〜しかできません・しません」ということであり、

自分たちの可能性を自ら狭めているのではないでしょうか。

 

"OTを説明する"で述べたように、

OTは作業ができれば自分らしく生きることができる、

という視点を持つ職業と考えれば、

そのための方法はなんでもありだと思います。

 

環境調整でも、患者教育でも、心理アプローチでも、歩行訓練でも、身体機能訓練でも。

 

表面上は職種間で被ることはあれど、視点の違いがあれば目的や設定は変わってくると思います。

 

説明はしづらいですが、

本気で「OTは手を良くする職種です」と思っていない限りは、

患者さんにそんな安易な説明をするのはナンセンスだなと思います。

 

常に職業的アイデンティティを意識していきたいですね。

障害受容という言葉は必要か

障害受容という言葉を私は使わないようにしています。

 

患者さんから障害への悲観的、破局的な思考が聞かれた際に、

「あの患者さん、まだ障害受容できてないね」と評価する場合もあると思いますが、

障害受容という言葉を使いたくない理由が2つあります。

 

一つは、

障害受容する必要があるのか疑問だからです。

 

障害はない方が良いと思うのが当たり前の感情だと思います。

障害受容という言葉は、

医療者側が目の前の患者さんに理想の患者像を投影しているに過ぎないと思うのです。

また、

"受容"というからには十分な"供給"ができているのか、ということを考えた方が建設的ではないでしょうか。

 

そして二つ目は、

障害受容ができてないと言っても何も解決しないからです。

 

障害受容ができてないと問題を立てたところで、具体的なアプローチは見当たらないでしょう。

 

まずは障害受容ができていないと判断した行動に着目すべきと思います。

 

全体的に不活発な生活になっている。

介護拒否や離床拒否がみられる。

悲観的な発言が聞かれる。

などなど、解決すべきは行動ではないでしょうか。

 

OTとしては、

作業を通して活動的な、前向きな生活を送っていただけることを支援し、

障害受容できてないなんて人格否定は封印したいものです。

 

↓参考にしました。

 

「存在を肯定する」作業療法へのまなざしーなぜ「作業は人を元気にする! 」のか

「存在を肯定する」作業療法へのまなざしーなぜ「作業は人を元気にする! 」のか

 

 

 

EBMとセラピスト

以前は個人的にevidence based medicine(EBM)というと、

"エビデンスレベルの高い方法を優先して用いなさいよ"という意味合いだと思っていました。

 

なので、

EBMは患者さんより医療者主体の考え方なのかなっていう印象があり、

若干反発を感じていました。

 

しかし、

斎藤先生の本を読んで考えが変わりました。

 

EBMとは、

臨床判断という医療の個別プロセスに、いかにしてエビデンスという一般情報を利用するかという方法論である。

 

つまり、

"あなたの治療方法としては◯と△と□がありまして、それぞれ有効性としては〜ですが、どうします?"

と患者さんに提示することだと解釈しました。

 

また100%治すという治療法が存在しない限り、

一つに絞って治療を行っていくことはギャンブルだなという気もします。

 

Drは治療説明の中で確率を交えて話されているような印象はあるが、

セラピストはどうでしょう。

 

セラピストの用いる理論や手技はかなり増えてきている印象がありますが、

多様な方法から目の前の患者さんに適応する方法をチョイスし、

有効性を説明して、

患者さんとshared dicision makingができているのか

 

そもそも多様な方法のそれぞれを理解しなければいけないという前提もあり、

研鑽を積まねばと思う今日この頃です。

 

 

医療におけるナラティブとエビデンス 改訂版──対立から調和へ

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