障害受容という言葉は必要か
障害受容という言葉を私は使わないようにしています。
患者さんから障害への悲観的、破局的な思考が聞かれた際に、
「あの患者さん、まだ障害受容できてないね」と評価する場合もあると思いますが、
障害受容という言葉を使いたくない理由が2つあります。
一つは、
障害受容する必要があるのか疑問だからです。
障害はない方が良いと思うのが当たり前の感情だと思います。
障害受容という言葉は、
医療者側が目の前の患者さんに理想の患者像を投影しているに過ぎないと思うのです。
また、
"受容"というからには十分な"供給"ができているのか、ということを考えた方が建設的ではないでしょうか。
そして二つ目は、
障害受容ができてないと言っても何も解決しないからです。
障害受容ができてないと問題を立てたところで、具体的なアプローチは見当たらないでしょう。
まずは障害受容ができていないと判断した行動に着目すべきと思います。
全体的に不活発な生活になっている。
介護拒否や離床拒否がみられる。
悲観的な発言が聞かれる。
などなど、解決すべきは行動ではないでしょうか。
OTとしては、
作業を通して活動的な、前向きな生活を送っていただけることを支援し、
障害受容できてないなんて人格否定は封印したいものです。
↓参考にしました。
「存在を肯定する」作業療法へのまなざしーなぜ「作業は人を元気にする! 」のか
- 作者: 田島明子,熊谷晋一郎,立岩真也,港美雪,田中順子,玉地雅浩
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