勝手なOT論

いろんな学問に興味はあるが知識はまだまだな作業療法士です。日常で湧き出た思考を書き留めておくブログです。強い根拠もない思いつきのようなものですが、皆様からのご意見も頂戴したいです。

作業を説明する

前回の「OTを説明する」にて、

OTは作業ができれば自分らしく生きられるという視点を持つ職種だということを説明した。

 

こう言われたら、

多くの人は「じゃあ作業って何なの?」って疑問に思うだろう。

 

学生の頃、

先生から作業に関して講義があり、

「作業とは、人の営みだ」と言われた記憶がある。

 

人々が日常で何気なくやっている全てのことが作業である。

朝起きてから夜寝るまで、

月曜日から日曜日まで、

1月から12月まで、

生まれてから死ぬまで、

人は何かしらの作業を通して過ごしており、

作業科学でいう「人間は作業的存在」だということが良くわかる。

 

活動との比較

 

似たような言葉に活動がある。

むしろ人に説明する際には活動と言った方が伝わるんじゃないかと思う時もある。

 

作業科学では、

作業の要素として、

意味と機能と形態を挙げている。

 

少し前のOT関連の勉強会や学会では、

「意味のある作業」という言葉がよく使われている印象だったが、

ある先生がおっしゃった

「作業には元々意味があるのだから、

意味のある作業という言い方はおかしい」

という言葉が強く印象に残っている。

 

活動に比べて、

作業は個々人で違うということが強調されており、

個々人で作業をする意味も、得られる機能も、行う形態も異なるということだと思われる。

 

ここで、私が作業と活動の違いについて理解しやすかった二つの例を挙げておく。

 

 

一つ目は、ある研修で挙げられた例。

 

"料理をする"は活動だが、

 

"自分のために作るのか"

それとも

"母親として人のために作るのか"

 

この違いで意味や機能や形態が変化してくる。

 

この例で言いたいのは、

作業にとって役割が重要な要素であるということ。

セルフケアさえも、

一人暮らしの場合、"自立した生活を送る"という役割のみを持ってセルフケアを自分なりの形態で行うだろうが、

家族で暮らしている場合、それに加えて"家族の一員"という役割のもと、

少なからず家族に配慮した形態になるだろう。

 

 

二つ目は、あるテレビ番組を観ていた時のこと。

あるタレントが

"砂浜で穴を掘る"

という趣味を紹介した時、

他のタレントは「それ楽しいんですか」とか「何の意味があるんですか」といった反応だったが、

当の本人は「掘ってる時の感触がなんかいいんだよね」と説明していた。

 

ここで言いたいのは、

自分にとって良い経験になっているものが作業と呼べるのではないか、ということ。

 

つまり、"砂浜で穴を掘る"と聞いたとき、

他人が想像した穴を掘っている様子は「活動」

 

本人だけが得た感覚や感情、考えなどの経験が呼び起こされるものが「作業」なのではないだろうか。

 

まとめると、

作業=活動+役割+良い経験

だと考える。

 

 

上の式にはあえて意味は入れていない。

 

「意味のある作業」と付け加えるほど、

意味は作業にとって重要なのは間違いない。

 

しかし、

作業機能障害(作業疎外、作業周縁化、作業剥奪、作業インバランス)に陥った時、

真っ先に考えるのは、

 

居場所(役割)の喪失、

作業で得てきた良い経験を味わえないというがっかり感ではないだろうか。

 

意味は作業を通してのアイデンティティや人生について考える際には必要だが、

 

作業を人に説明する際には、

役割と良い経験をキーワードにしたほうが伝わるのではないか。

 

 

作業を説明する

以上を踏まえて、

作業を説明するとしたら、

どう説明すればよいか。

 

自分の役割を果たすための活動

自分にとって良い経験となっている活動

 

というと堅苦しい感じがする。

 

ふわっとした感じで考えると、

"普段生きがいや、

やりがいを感じられる活動"

といったところか。

 

これなら役割や良い経験、

さらには意味の要素も含まれると考える。

 

 

もっと医療職以外にもわかりやすく、

しっくりくるような説明方法はないか、

引き続き思考していきたい。