勝手なOT論

いろんな学問に興味はあるが知識はまだまだな作業療法士です。日常で湧き出た思考を書き留めておくブログです。強い根拠もない思いつきのようなものですが、皆様からのご意見も頂戴したいです。

well-beingと作業

well-beingの5つの要素

PERMA

と呼ばれるものがあるらしい。

 

well-being自体が「持続的幸福度」という形で判断することができ、

このPERMAを見ると、幸福への作業の貢献度は高いなぁと思います。

 

Positive emotion

ポジティブ感情。

作業を通して得られるもの。

 

Engagement

なんらかの行動や作業に夢中で没頭している状態で、フロー体験を指します。

意味のある作業に従事した時、この状態になると思われます。

 

Relation ship

関係性。

作業にもよると思うが、大抵他人との関係性を構築するには作業が介在しているように思います。

 

Meaning

意味、意義。

作業を通して人が求め、得られるものと考えます。

 

Achievement

達成。何かを成し遂げること。

作業を通して得られるものだろうと思います。

 

 

以上5つを見ると、

作業療法士としては、作業こそがクライアントの幸福に繋がるものだと考えてしまいますね。

 

むしろ作業とは、自分にとってwell-beingをもたらすものと言ってもいいかもしれません。

 

作業と幸福の関連はOTとして常に意識していきたいと思うところです。

 

 

人間にとって健康とは何か (PHP新書)

人間にとって健康とは何か (PHP新書)

 

 



ターミナルにおけるOT

ターミナルへの心構え

 

私の勤務地では、

よく"お看取り"の方針になっている方がいる。

 

本人が決めたのか、家族が決めたのか、

そこを終の住処として来るのである。

 

ターミナルケアや緩和ケアという言葉が、

世に浸透して久しい。

 

終末期には4つの痛み(身体的、心理的、社会的、スピリチュアル)があるとし、

対象者を全人的に捉えてケアしていくという視点は素晴らしいと思う。

 

しかし、

普段高齢者を相手にしている身からすると、

あえてこのような用語を使っていくこと自体に違和感がある。

 

エリクソンのライフサイクルによると、

老年期は統合vs絶望の段階である。

 

簡単に言えば、

「いい人生だった」と死を受容できなければ絶望してしまう状態だということか。

 

とすると、

老年期(エリクソン的には65歳からのようだが、個人差はあるだろう)に入った時には、

すでにターミナルを見据えたケアが必要だと思われる。

 

もっと言えば、ターミナルケアの対象ではなくて、若い方だとしても、いつ亡くなるかはわからない。

自分だっていつ死ぬかはわからない。

「明日亡くなるかも」という気持ちですべての対象者を支えられたらと思う。

 

ターミナルの目標設定

 

リハビリテーションのページで述べたように、

リハビリテーションは"自分らしく生きる"状態だとして、

 

ターミナルに当てはめると、

"余命を自分らしく生きる"状態を目指すべきなのだろうか。

 

人によっては、

あまりいないが、「最期まで活動的に過ごしてやる」っていう方もいれば、

「早く楽に死にたい」と静かに過ごそうとする方もいる。

 

ここからはHOPEと全身状態を照らし合わせ、

医療職としてどう目標設定するのか考える。

 

 

どのような目標を見据えるにしても、

医療者側は良い意味で力を抜くことが必要だと思う。

 

そっと傍に寄り添う程度の存在であり、

対象者が頑張りたい時はさっと支える。

 

選択する力関係としては、

shared dicisionより、

informed dicisionに近寄るであろう。

 

もちろん開始時に、

作業療法についての情報提供が必須である。

 

お互いに頑張る必要はない

 

ターミナルに向かうにつれ、

痛みが強まったり、動けなくなったりしてネガティブな発言が増えることもある。

 

「早く楽になりたい」

「もう生きてたってしょうがない」

 

と。

 

こんな時は医療職としてはつい力んでしまい、

「いや、そんなことないですよ」

と言ってしまいたくなる。

 

しかし、

そこは一旦こちらも力を抜いて、

「そうですか」

「お辛いですね」

と受け止め、

具体的にエピソードや想いを掘り下げていくほうがいいと個人的には思う。

 

 

悲観的な発言が多い方も、

ご家族の前では明るく振る舞っていることもある。

 

ご家族の前ではしっかりしなくちゃとか、

弱気なところは見せたくないという意地のようなものが感じられる。

 

残されるご家族に対しては、

外面だけでも最期まで頑張ってます、

という様子を見せたほうがいいと思うが、

(もちろん本人の希望次第だが)

 

第3者である医療職に対しては、

弱気なところを見せていただけたほうが、

ある意味ストレスのはけ口となり、

そばにいるだけの存在だとしても、

役に立てているのではないかと思う。

作業を説明する

前回の「OTを説明する」にて、

OTは作業ができれば自分らしく生きられるという視点を持つ職種だということを説明した。

 

こう言われたら、

多くの人は「じゃあ作業って何なの?」って疑問に思うだろう。

 

学生の頃、

先生から作業に関して講義があり、

「作業とは、人の営みだ」と言われた記憶がある。

 

人々が日常で何気なくやっている全てのことが作業である。

朝起きてから夜寝るまで、

月曜日から日曜日まで、

1月から12月まで、

生まれてから死ぬまで、

人は何かしらの作業を通して過ごしており、

作業科学でいう「人間は作業的存在」だということが良くわかる。

 

活動との比較

 

似たような言葉に活動がある。

むしろ人に説明する際には活動と言った方が伝わるんじゃないかと思う時もある。

 

作業科学では、

作業の要素として、

意味と機能と形態を挙げている。

 

少し前のOT関連の勉強会や学会では、

「意味のある作業」という言葉がよく使われている印象だったが、

ある先生がおっしゃった

「作業には元々意味があるのだから、

意味のある作業という言い方はおかしい」

という言葉が強く印象に残っている。

 

活動に比べて、

作業は個々人で違うということが強調されており、

個々人で作業をする意味も、得られる機能も、行う形態も異なるということだと思われる。

 

ここで、私が作業と活動の違いについて理解しやすかった二つの例を挙げておく。

 

 

一つ目は、ある研修で挙げられた例。

 

"料理をする"は活動だが、

 

"自分のために作るのか"

それとも

"母親として人のために作るのか"

 

この違いで意味や機能や形態が変化してくる。

 

この例で言いたいのは、

作業にとって役割が重要な要素であるということ。

セルフケアさえも、

一人暮らしの場合、"自立した生活を送る"という役割のみを持ってセルフケアを自分なりの形態で行うだろうが、

家族で暮らしている場合、それに加えて"家族の一員"という役割のもと、

少なからず家族に配慮した形態になるだろう。

 

 

二つ目は、あるテレビ番組を観ていた時のこと。

あるタレントが

"砂浜で穴を掘る"

という趣味を紹介した時、

他のタレントは「それ楽しいんですか」とか「何の意味があるんですか」といった反応だったが、

当の本人は「掘ってる時の感触がなんかいいんだよね」と説明していた。

 

ここで言いたいのは、

自分にとって良い経験になっているものが作業と呼べるのではないか、ということ。

 

つまり、"砂浜で穴を掘る"と聞いたとき、

他人が想像した穴を掘っている様子は「活動」

 

本人だけが得た感覚や感情、考えなどの経験が呼び起こされるものが「作業」なのではないだろうか。

 

まとめると、

作業=活動+役割+良い経験

だと考える。

 

 

上の式にはあえて意味は入れていない。

 

「意味のある作業」と付け加えるほど、

意味は作業にとって重要なのは間違いない。

 

しかし、

作業機能障害(作業疎外、作業周縁化、作業剥奪、作業インバランス)に陥った時、

真っ先に考えるのは、

 

居場所(役割)の喪失、

作業で得てきた良い経験を味わえないというがっかり感ではないだろうか。

 

意味は作業を通してのアイデンティティや人生について考える際には必要だが、

 

作業を人に説明する際には、

役割と良い経験をキーワードにしたほうが伝わるのではないか。

 

 

作業を説明する

以上を踏まえて、

作業を説明するとしたら、

どう説明すればよいか。

 

自分の役割を果たすための活動

自分にとって良い経験となっている活動

 

というと堅苦しい感じがする。

 

ふわっとした感じで考えると、

"普段生きがいや、

やりがいを感じられる活動"

といったところか。

 

これなら役割や良い経験、

さらには意味の要素も含まれると考える。

 

 

もっと医療職以外にもわかりやすく、

しっくりくるような説明方法はないか、

引き続き思考していきたい。

OTを説明する

患者さんのご家族さんからPTとOTの違いについて聞かれることがたまにある。

頻繁にではなく、たまに、というところに日本人の「やってくれればなんでも良いんだろう」という様子が伺える。

 

それは置いといて、

前回書いた内容に沿って考え直すと、

人生に対して、責任を持ち、選択し、前進する状態がリハビリテーションだということならば、

いったいPT、OT、STはどう説明されれば良いのか。

 

私個人はそれぞれの職種の違いは、視点の違いかと思う。

 

まずPTのキーワードは、身体機能。

身体的不調があると結果的に活動性や行動力に影響するので、

身体機能の向上はリハビリテーションという状態になるための大切な要素。

 

STさんは元々聾の方への支援から始まったということで、コミュニケーションがキーワードかなと思う。

コミュニケーションや対人関係が取れないと、

社会の中で前進していくことは難しいだろう。

 

そして、

OTのキーワードはやっぱり作業

作業に関してはまた考えをまとめるが、

作業科学における、"人間は作業的存在である"ことを踏まえると、

自分らしく生きるということは、自分らしい作業をすることだと思うので、

作業遂行を支援することはリハビリテーションの状態に繋がっていくと考る。

 

まとめると、

PTは身体が動けば自分らしく生きることができるという視点

OTは作業ができれば自分らしく生きることができるという視点

STはコミュニケーションが取れれば自分らしく生きることができるという視点

をそれぞれ持っているのではないか。

 

STは摂食嚥下の分野にも強いから、その説明も加える必要はあるかと思うが、

一般の方に説明する際は、大まかには上のようなキーワードを交えればいいかなと思う。

 

そして、一般の方からは、「え、作業って何?」と聞かれる可能性もあると思うので、

作業についてはまた考えなくてはいけないな。

リハビリテーション

いつもOTの在り方について考えるときに、「あれ、リハビリテーションってなんだっけ?」って頭によぎる。

 

何年もリハビリに関わっていると、ゲシュタルト崩壊みたいにリハビリテーションの輪郭がぼやけてくるような、そんなモヤモヤがある。

 

調べると、rehabilitationは、日本語にすると"全人的復権"とか"再び人間らしくなる"とか訳されている。

ノーマライゼーションの考えも踏まえると、

"障害があっても自分らしく生きる"っていう意味合いがしっくりくるような気がする。

 

自分らしく生きるっていうのがまたフワフワしているような気がして、さらに考えると、

"ある人に何かしらの変化(大抵は悪いこと)があるも、自分の人生に責任を持ち、どう生きるかを選択し、それに向かって前進していく状態"

つまり、責任と選択と前進がキーワードではないかと思う。

 

「リハビリしましょう」ってよく言うが、上のように考えるとリハビリは方法というより目的であり、「リハビリをする」のではなく、「リハビリになる」というほうがしっくり来る気がする。

リハビリテーションという状態になるため、たくさんの手段があったので、PT・OT・STと3つの職種が生まれたのではと思う。